23日の花咲徳栄(埼玉)との決勝前までの5試合で6本塁打を放ち、 清原和博氏(PL学園、5本)の1大会本塁打記録を破った広陵の中村奨成捕手(3年)。
最多打点記録(17)、最多塁打記録(38)も更新し、一気にドラフトの目玉として注目を集めている。
「初めて中村を見たのは中学2年の頃でした。プレーはすごかったが、『野球だけうまかったらええんや』という感じでしたね。
周囲への態度にそれが表れとった。髪形も学校で注意されそうな感じでね。スター選手がいるチームではよくあるんです。
指導者も注意できない。ヘソを曲げて、いなくなられたら勝てないですから」
コーチ時代に金本(現阪神監督)、監督として二岡(現巨人コーチ)、西村、小林(以上巨人)、上本(阪神)、野村(広島)、 有原(日本ハム)らを育てた中井監督がこう振り返る。
実際、中村は中学時代、広島県廿日市市の「大野シニア」に所属していたが、自身で「正直、人生をなめていました」と反省するほど、 野球以外の生活態度は品行方正とは言い難かったようだ。中井監督と出会ったのはそんな頃だった。
「野球の話は一切されませんでした。男として真っすぐな生き方を話してくださった。
素晴らしい指導者の方は他にもいるけれど、そんな話をしてもらったのは監督だけでした」と中村。
当時中村の名前は広島県内に響き渡っており、県内外の野球強豪校が中村の元を訪れては練習環境やプロ入り、進学実績を次々にアピールしていたという。
ところが中井監督は「僕は勧誘なんて考えてない。『ウチにはいらん』と言いましたから。親御さんの前でもう大説教ですよ。
『お母さんを大事にしろ。親を大事にせんやつが、他人をいたわれるか。そんなやつが野球がうまくなれるか』と言い聞かせました」。
中村自身が「自分を変えようと思っていた」ところに、同監督の言葉が突き刺さり、その指導を受けたいと広陵への進学を決意した。
入学直後こそ「洗濯機の使い方もわからなかった」が、寮生活の中で掃除、洗濯、食後の片付けなど、親に頼りきりだった事を行うようになると、 次第に自分のことだけでなく周囲にも目が行くようになった。いま、中村はベンチ入りできなかった選手たちへ感謝を口にしている。
「いまのあの子の立ち居振る舞いはどうですかね。普通の若者以上じゃないですか?
仲間への思いやり、控え選手のおかげでプレーできていることを理解している」と、どれだけ打っても褒めない中井監督も目を細める成長ぶりだ。
数多くのプロ野球選手を育ててきた中井監督だが、人間形成を考えた上で、これまでは教え子のほとんどを大学か社会人を経てからプロ入りさせてきた。
しかし中村は“特例”だ。
両親は中村が3歳の時に離婚。
「あの子は母子家庭で育ってきたんですね。本人の希望もあるが、おじいさんとおばあさんだけでなくお母さんの体調も良くないと、進路面談のときに言っていた。経済状況を考えれば、すぐにプロへ進むのがいい。
祖父母に活躍する姿を見せてあげないと」と教え子の夢を後押しする。
母の啓子さん(44)とは「小学校に入ってからもキャッチボールをしたり、バドミントンのシャトルを投げてもらって練習に付き合ってもらった」(中村)。
啓子さんが仕事で不在の時は、祖父母が代役を務めたという。
「ここまで支えてくれた母や家族にしっかり恩返しがしたい」と力強く言い切る中村に、中井監督も「彼の夢はプロに入ることじゃない。『プロで活躍する姿を家族に見せてこそだぞ』とあの子には言っています」。
(一部抜粋しました)
http://www.zakzak.co.jp/spo/news/170824/spo1708240003-n1.html
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中井監督は中村が母子家庭だということを明かした。
中井監督は選手を指導する上で、野球人である前に、しっかりとした社会人になることを求める。広陵出身のプロ野球選手の多くが大学を経ているのはそのためだ。
中村との面談を振り返った中井監督は、「僕も大学、社会人チームを勧めたが、経済状況もあって。プロに入って活躍できる力をつけなさいと言った」という。
http://www.asahi.com/koshien/articles/ASK8R6G9YK8RPTQP01Q.html
母子家庭の中村奨成、家族への思い…母や祖父母の体調すぐれず 広陵・中井監督「経済状況を考えればすぐにプロへ」★2
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