【悲報】コロンビアのサンチェス選手に殺害予告
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https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/201806220000371.html
2018年6月22日11時34分
マリナーズのイチロー球団会長付特別補佐(44)が21日、敵地でのヤンキース戦の試合中、付けヒゲなどで変装しこっそりベンチに座っていたとAP通信が写真付きで伝えた。
ベンチの奥の席にフードを目深に被り鼻の下に太いヒゲを付け、サングラスをかけて座っている姿だったが、撮影したカメラマンはすぐにイチローだと気づいた模様だ。1回に姿を見せていたが、2回には引っ込んだという。
イチローは5月に今季現役をしないことを発表し、球団フロント入り。しかしチームの遠征にも帯同し、打撃練習なども現役時代と同じように続けていたが、規則により通常はベンチ入りすることはできない立場だった。
サングラスと付けヒゲ姿といえば、ロッテなどで監督を務めたボビー・バレンタイン氏がメッツ監督時代、退場処分になった後にサングラスと付けヒゲ姿でベンチにこっそり姿を見せ話題になった。イチローが現役をいったん退くと発表した会見では、そのバレンタイン氏の行動に触れ、自分がそれをする可能性について冗談交じりに言及していた。
https://www.asahi.com/sp/articles/ASL6N3RKZL6NUTIL00Z.html
野球漫画「ドカベン」シリーズ完結へ 46年の歴史に幕
辻健治2018年6月21日0時0分
1972年から週刊少年チャンピオンで連載している野球漫画「ドカベン」シリーズが28日発売号で完結する。発行元の秋田書店が明らかにした。46年の歴史に幕を閉じる。最終回では作者の水島新司さん(79)による特別寄稿が掲載されるという。
「ドカベン」は、明訓高校の捕手で強打者の主人公・山田太郎の愛称。山田とバッテリーを組むエースの里中智、悪球打ちの岩鬼正美、秘打男の殿馬一人ら個性豊かなチームメートとともに、ライバルたちとの熱戦を勝ち抜いていく様子を描いた。76年にはアニメ化された。漫画では「プロ野球編」など続編を経て、現在は水島さんの野球漫画に登場した選手が対決する「ドリームトーナメント編」が32巻まで発刊されている。シリーズ合計で203巻に上る。
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「ドカベン」は高度な配球や一般的には知られていないルールも紹介する本格派野球漫画で、広く人気を集めた。
2012年夏の第94回全国高校野球選手権大会。済々黌(熊本)が鳴門(徳島)との2回戦で、1死一、三塁から三塁走者がライナーでの併殺成立前に本塁を踏み、相手のアピールがないために1点を追加するという珍しい場面があった。済々黌の監督が「ドカベン」を読み、選手に教えていたため生まれたプレーだった。
また、高校野球で神奈川大会の会場となる神奈川県大和市の大和スタジアムは「ドカベンスタジアム」の愛称がついている。明訓高校が同県にある設定だったことから、球場改修時に「高校野球を象徴するものを」と市側が水島氏に打診。快諾を得て、球場入り口に山田太郎と里中智のブロンズ像が建てられた。(辻健治)
https://www.asahi.com/sp/articles/ASL6F6H61L68PLBJ004.html?iref=sp_new_news_list_n
元プロ野球選手の森本稀哲(ひちょり)さん(37)は小学1年の時に円形脱毛症になり、ほぼすべての毛髪を失いました。悩んでいた子ども時代から、プロ野球で人気を博した元気なキャラクターを確立するまでの心の変化を聞きました。
円形脱毛症は治療しなくてもいい 学会が指針改定
脱毛症「目立っていいじゃん」 元日本ハム森本稀哲さん
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――発症当時の気持ちは。
なんとも言えない恐怖心と驚きでした。ちょうどここ(額と頭頂部の間)に百円玉ぐらいの大きさのハゲができたんです。最初はすぐに治ると思っていて重くとらえていなかったです。それが髪の毛をつかむと抜けちゃうので「ええっ」っていう感じで、その後全部抜けちゃったんですね。
――その時の生活は。
初めての人に会うときや、初めての環境に直面するときにすごくストレスを感じました。公園に行ったら「ハゲ」と言われたりもしました。自分でもどうしても意識してしまいます。外に行くときはずっと帽子をかぶって頭が隠れるように、というイメージです。習っていたテコンドーの合宿ではお風呂でも帽子でした。いろいろな道場の子たちが集まっているので、もう最悪な環境でしたね。
――治療や、受けていたときの気持ちは。
母に連れていってもらっていろいろな治療を受けました。電気をあてたり、くしのような物で皮膚を刺激したり、薬をぬったりしていました。最初は「治るのかな」という期待の方が大きかったけれど、途中からは「どうせ治らないんだろうなあ」という感じでした。
毛が生えたらいいなというのはずっと思っていましたけどね。まわりはあたりまえに生えているのに。髪の毛がないと変に注目されるし、目線からも逃れたかった。「髪の毛があった方がかっこいいな」と子どもながらに思っていました。
――気にならなくなっていった経…
脱毛症「目立っていいじゃん」 元日本ハム森本稀哲さん
野中良祐2018年6月20日5時30分
http://www.asahi.com/sp/articles/ASL646GKHL64PLBJ003.html?iref=sp_new_news_list_n
発病は小学1年のとき。髪の毛をつかむと抜けてしまい、何ともいえない恐怖心がありました。外出時はいつも帽子をかぶっていました。からかわれて嫌な思いをしたこともありました。初対面の人に会うのがストレスで、目線から逃れたいと思っていました。
小学4年で野球を始めました。みんな帽子をかぶるので、ストレスはかなり減りました。治療をやめたのは5、6年生のころ。薬もかゆかったり、ヒリヒリしたり。自分から「もういいよ」と、親に言いました。
中学、高校と野球に没頭し、活躍できるようになると、逆に「目立っていいじゃん」と。プロ入り後は、同じような子どもたちのためにも活躍しよう、という思いが強かったです。
意外と周囲は気にしていなくて、自身が一番気にしてしまうんです。気にすることから外れた瞬間から、人生ががらっと変わりました。楽しいし、毎日が明るくなった。治療を受けるかどうか、かつらをつけるかどうか。どちらにしても、それによって前向きな気持ちになることが大切だと思います。
僕も病気に向き合うチャレンジャーの一人。同じ病気の人の力になれることがあれば、何でもしていきたいです。(野中良祐)